つい先日、神奈川大学の教職実践演習という授業で、現職教員として大学4年生に教員の魅力などについて講演してくれないかと依頼がありましたので、行ってきました。
今日はその時の話の中で、特に学生たちの反応がよかった部分や、講演時間だけでは言い足りなかったところなどを付け加えて記事にします。教員になろうか迷っている大学生の方や、教員になりたい方への記事になります。
教員のイメージ
教員のイメージというのは、どういうことかというと、自分が生徒にどのように振る舞うか、どのように思われたいかということです。教員になる前の私の教員のイメージは、次のような感じでした。
1.権威主義的
2.生徒に舐められないように
3.毎日が忙しい
仕事を初めて1年がたったあとに、どのようにイメージが変化したかというと、
1.生徒とともに学ぶ
2.よき兄であり父である
3.毎日が充実している
このように変化しました。過去の初任のころの記録を引用します。
非常勤講師の経験のおかげで、最初の1ヶ月はなんとか乗り切る。しかし、5月を過ぎたあたりから、授業に活気が出なくなったと感じ始めた。英語で質問しても、シーンとなって反応がなかった。音読の声が徐々に小さくなっていった。「英語で英語の授業をやってやる!」という勢いは弱くなっていってしまった。生徒が内容を理解しているのか不安になり、日本語の使用がだんだん多くなり、教師中心の説明の時間が多くなっていた。
そこで、校内の色々な先生の授業を見に行った。そこで学んだことが多い。例えば、教員の表情や態度が生徒のモチベーションにつながると感じた。だから、まずは自分が思い切って楽しむことができる授業を目指そうと思った。また、生徒は授業中に色んなことを声に出しており、それらを教員に聞いてほしい、反応してほしいと思っている。
だから、授業中には耳をすませ、生徒の声に耳を傾け、どんな発言もできるだけ取り上げてやろうと思った。そして、毎日少しずつ変わる生徒の様子をよく観察し、それに応じて教え方を少しずつ変えていく、試行錯誤の1年だった。
そして、あっという間に1年が過ぎていた。初めての担任は2学年だった。1年目から引き続き教えているある生徒から、「なんか先生変わったね。丸くなったね。やわらかくなった気がする。」と言われた。採用1年目、「教え方はこうあるべき、教員はこうあるべき」という考えを持ち頑固に、少し意地になりながらがんばっていたが、どうもそれは少しだけ堅かったということに気づいた。
生徒の何気ない一言が、教師を変えることがある。初任校の生徒には本当に感謝したい。
さて、教員1年目の先生も、見習いではなく、生徒の前では先生である。そういった事実はあるのだけれども、かといって生徒指導や授業がはじめからうまくできることはほとんどない。
そういう新人教師の隠したいところ、つまり、生徒には知られたくないという気持ちがあるのだということを、認識することから、教師の成長は始まるのかもしれない。
ここからは余談。教員はブラックという印象があり、大学生は避ける傾向にある。しかし、ブラックの環境に対して、もしそれが一般企業であれば、声をあげることは難しいだろう。その一方、教師は授業も極端なことをいってしまえば、その教師の裁量に任されている部分はあるし、職員会議という民主的な場で、さまざまな残業などに対して反対を訴えることも可能ではある。そういう意味で、教員は会社員とは違うのだと思う。
大学生のみなさんへ
すべての仕事はラグビーと似ている。
ラグビーでは、ボールがすこしずつ進み、いちばん重要なものはフィジカルで、チームワークが求められる。
これを教員の仕事におきかえると、どうなるか。
教師は、授業がすこしずつ進み、いちばん重要なものは教科力で、チームワークが求められる。
このように言い換えられるのではないか。これを「教師のラグビー理論」といいたい。(笑)
授業がすこしずつ進むとは、生徒はいきなりできるようになるのではなく、すこしずつできるようになったり、前進したと思ったら、バックしてしまったり、ときには衝突があったりするという意味がある。
いちばん重要なもののは教科力というのは、英語という科目であれば、英語力ということになる。教え方や小手先のテクニックではなく、英語そのものの力が大切ということになる。なお実際のラグビーでも、相手が強くなればなるほど、フィジカルが大切で、小手先のテクニックや戦術ではなく、フィジカルで勝負することが必要になるとのことです。
チームワークが求められるのは、感覚的にわかりやすいかもしれないが、学校は1人で運営できるものではなく、ラグビーと同じように、複数人で進んでいく。