今回は英語教育のお話というよりは一般的な教育の話です。
結構、ナイーブな(繊細な)話というか、解決が難しい、話すのに勇気がいる、真面目な話です。
タイトルにもあるとおり、声の小さいマスクをかけた子どもたちの話です。
みなさんの学校にもいないでしょうか。
「マスクをかけて声が小さいこども」ではないです。
元々声が小さいのに、マスクをかけてさらに声が小さくなってしまっている子どもです。
はじめに言っておきますが、そういう子どもを非難しているわけではありません。
そういう子どもに育ててしまったのは、我々大人や社会のせいであると、指摘したいのです。
声の小さい子どもたちは、さまざまな理由で声が小さいのです。
人の前に立って話すのが苦手、特定の場面になると声が出なくなる、自分に自信がない
これ以外にも色々、そしてその理由は一つではないことが多いと思うのです。
(単純に、「もっと声を出せ!」という指導ではうまくいかないですし、適切ではないと思われます)
そういった子どもたちは、総じて人との対面での言葉によるコミュニケーションに苦手意識があります。
声が小さいからコミュニケーションが苦手なのか、コミュニケーションが苦手だから声が小さいのか、わかりませんが、
うまく自分を表現できない→自信がなくなる→もっと声が小さくなる→話を聞いてくれる人が減っていく→教室での居場所がなくなる
という悪循環で、その影響は思ったよりいろんなところに波及します。
そこにコロナ禍でマスクをかけることになり、さらに子どもたちの言語生活は厳しさを増すようになります。
声が元々小さいのに、さらにマスクで声が届かなくなる。お互いの表情も見えにくいので、気持ちがわかりづらい。
今教えている生徒たちは、いわゆる「コロナ禍で学校生活に割りを食った世代」と言ってもいいでしょう。
こんなこと書くのはかなり勇気がいります。語弊がなければいいのですが・・・
とにかく、コロナ禍で修学旅行が中止になった、マスクをつけながら学校行事を行なった、1日のほとんどをマスクで過ごしている世代と我々は接しているのです。
そういう世代に大人として接している我々教師(マスク生活を子どもたちに強いてきた我々)はその責任を自覚しなければなりません。
全ての子どもたちが、十分な声の出せる、コミュニケーションが取れる、人間としてきちんとした言語生活を送ることのできる、
そういう教育していかなければ、と思うのです。